2015年12月23日
マリのないラインから
女性は、男性の所有物だった時代。
不幸な生い立ちをバネに、才能を発揮していくココ。
あの時代、自立するための融資を受けようにも、
孤児あがりの、名も実績も担保もない小娘に、お金を貸してくれる銀行などない。
なので、やはり、愛人=お妾さんからのスタートとなる。
男性の慰みもの、若い時だけの使い捨て人材の、哀れな身。
単なる娼婦なら、佃煮にするほど、どっさりいる。
そのような女性と、似て非なる(でも、とても微妙)愛人という立場から、
這い上がるのは、並大抵ではない知恵と根性、才能がいる。
ここに書くまでもなく、ココ・シャネルの輝かしい活躍や影響力、社会的地位は、
皆さんもよくご存じだろう。
男性に所有されない、解放された女性・・・20世紀初頭に、そりやあ、びっくり、たまげものだ。
最初の愛人のお金持ち貴族(エティエンヌ・バルザン)が、
自分のワイシャツを脱ぐために、カフスをココに抜き取らせようとする。
ココが嫌な顔をすると
「日本のゲイシャは、オトコのためならなんだってするらしいぞ。オマエもやってみろ、ほれ」
ココ「そんなの、奴隷じゃないの」
でも、ココは、カフスを外させられる。
悔しかっただろうなあ・・・我慢してるんだろうなあ・・・なんか涙が出そうになった。
あのシーンは、とても屈辱的で、印象的だ。
同棲中の広大なお屋敷で、食事時に、ナフキンが汚れていたので、使用人に
「汚れているから、取り替えてちょうだい」というココ。
使用人に「そのナフキンは(汚れていても)、ココ様用でございます」
とそっけなく断られる。
使用人も取り巻きも、すべての人間が、ココのことをそういう目で見、そういう扱いをする。
たとえ、豪邸暮らし、何不自由ない贅沢な生活が保障されていても・・・だ。
愛人に甘んじているココではない。
悔しさを決して忘れず、反骨精神で努力を重ね、チャンスを待ち、やがて自立、自由を勝ち取る。

「あんたなんか、お金と取り巻きがいないと、友達なんか一人もいないじゃないっ」
と吐き捨てるように、バルザンに言うココ。
私も、大昔、似たようなセリフ、言ったことがあるような、ないような。。。
(ああ、身の程知らず)
結婚もココにとっては、自由を奪われるものだ。
経済的に男性に頼らない生き方。
精神を五分五分に保つための鉄則のルール。
あああああ・・・そういう女性・・・・素敵だ。
ごちゃごちゃ着飾った貴族の女性や、ぶよんぶよんした娼婦の皆様たちが、
だんだん、貴族も、娼婦も、そのシ、似たような同類に見えてくる。
太った豚より、痩せたソクラテス。
でも、そういうことが言えるのは、ある程度、お腹がいっぱいになってからこそ。
凡人が足元をちゃんと見つめないで、理想だけ声高に叫んでも、バランスは崩れる。
ココぐらい有能な人だけが許されるスタンスだ。
ココは、痩せたソクラテスから、輝く成功したソクラテスになった。
シャープ、クール、切れ味するどい、自他共に厳しい生き方。
しかし、それゆえ孤高の哀しさは、生涯付きまとう。
多少、後の世の人に脚色される部分もあるだろうが、それはそれとして
多くの年月を重ね、時代が移り変わった今も、強烈な個性、生きざまは色褪せない。
Posted by ンを連れて来て at 12:34│Comments(0)