2016年07月26日

顔には諦め切


「どこかに通じている通路は、気配が違う。今通り過ぎた通路は百フィートほど行くと、ただの壁にぶつかるよ」
 バラクは怪訝そうな顔でフーッと呻いた。
 切り立った第二の岩壁に出くわすと、レルグは立ち止まって頭上の闇をじっと覗き込んだ。
「かなり高そうですか?」と、ダーニクが訊ねた。
「三十フィートかそこらだ。足がかりにまたいくつか穴を開けよう」レルグはその場にひざまずいて、岩肌に片手をゆっくりと押し入れた。そして肩の筋肉をこわばらせてわずかに腕

をひねった。と、岩は小さな破裂音をたててはじけた。レルグが手を抜くと同時に、岩の粉がパラパラと落ちてきた。かれは穴の中から残りの岩屑を払い落とすと、立ち上がって今度

は最初の穴の二フィートぐらい上のところにもう片方の手を押し込んだ。
「お見事」シルクはそう言ってかれをほめた。
「こんなものは使い古しの術だ」と、レルグは言った。
 かれらはレルグにならって岩壁をよじ登り、てっぺんの裂け目に体をねじ込んだ。バラクは体の大部分を後ろに残したままバタバタとあがき、例によって悪態を並べた。
「どのぐらい来たんだろうな?」シルクの声にはある種の不安感が漂っており、まわりから迫ってくるような岩を眺める目もそわそわしていた。
「峰の麓からだいたい八百フィート登ったところだ」と、レルグ。「さあ、今度はあっちだ」かれはまたしても傾斜のついた通路を指差した。
「そっちに行ったら今来た方に戻るんじゃないですか?」ダーニクが訊ねた。
「洞穴はジグザグに進んでいるんだ」レルグはかれに言った。「とにかく上に向かっている通路を進むしかない」
「通路はてっぺんまで通じてるんですかね?」
「そのうちに大きな広がりがあるはずだ。今はそれしか言えない」
「なんだ、あれは?」シルクが急に叫んだ。
 耳を澄ますと、暗い通路のどこかから歌声が漂ってくるのがわかった。何かしら深い悲しみを感じさせるメロディーだが、反響しているため歌詞は聞き取れない。かれらにわかった
顔には諦め切

のは、それが女の歌声らしいということだけだった。
 やがてベルガラスがアッと叫んだ。
「どうかしたの?」ポルおばさんがかれに言った。
「マラグ人だ!」老人が言った。
「まさか」
「この歌には聞き覚えがあるのだ、ポル。これはマラグの弔いの歌だ。だが、歌声の主が誰であれ、死期が近づいていることは間違いない」
 歌声は曲がりくねった通路にこだましているため、声の主の居所を突き止めるのは難しかった。だが、先に行くにしたがって、音はだんだんと近づいてきた。
「この下だ」頭を傾けながらある穴の前に立ち止まったシルクが、ついに言った。
 歌声はとたんに止んだ。「近寄らないで」女の声が険しく響いたが、姿は見えない。「あたしはナイフを持ってるのよ」
「われわれは仲間だ」ダーニクは彼女に呼びかけた。
 彼女はその言葉を冷たく笑い飛ばすと、「あたしには仲間なんていない。連れ戻そうったって無理よ。このナイフはあたしの心臓に届くぐらい長いんだから」
「われわれをマーゴ人だと思っているらしい」シルクは声をひそめて言った。
 すると、ベルガラスは大きな声で、ガリオンが聞いたこともないような言葉を話しはじめた。しばらくすると、女は何年も使っていなかった言葉を思いだそうとするかのように、た

どたどしい口調で答えはじめた。
「罠だと思ってるらしい」老人は皆にそっと伝えた。「胸にナイフを突きつけていると言っている。慎重にいかないと」かれがもう一度暗い通路に向かって話しかけると、女の返事が

聞こえた。二人の交わしている言葉は流麗で、まるで歌を聞いているようだった。
「ひとりだけなら来てもいいと言っている。まだわれわれを疑っているようだ」
「わたしが行くわ」ポルおばさんはかれに言った。
「気をつけろ、ポル。最後の瞬間に決心を翻して、自分ではなくおまえの胸にナイフを刺すかもしれんからな」
「大丈夫よ、おとうさん」ポルおばさんはバラクから明かりを受け取ると、穏やかに言葉をかけながらゆっくりと通路を下りていった。
 残った仲間は暗闇の中に立って、通路から漏れてくる囁き声にじっと耳を澄ました。ポルおばさんがマラグ人の女にそっと話しかけている。やがて、「もう来てもいいわよ」という

彼女の声が聞こえると、かれらは声のする方に向かって通路を下っていった。
 女は小さな水溜りの脇に横たわっていた。彼女が身につけているのは小さなボロ布だけで、体はおそろしく汚なかった。髪は黒く輝いているがぐしゃぐしゃにもつれ、

ったような表情が浮かんでいる。大きな頬骨にふっくらとした唇、そして真っ黒な睫に縁どられたスミレ色の瞳。悲しいぐらい小さな数枚の布は、透き通るような彼女の体をほとんど

露出させていた。レルグはハッと息をのんで、急いで後ろを向いた。
「彼女の名前はタイバよ」ポルおばさんは静かな声で言った。「何日か前、ラク?クトルの地下にある奴隷の檻から逃げ出したんですって」
 ベルガラスは衰弱した女の脇にひざまずいた。「おまえはマラグ人だな?」かれは熱心に話しかけた。
「おかあさんがそう言ってたわ。古い言葉を教えてくれたのもおかあさんよ」彼女の青白い頬の片側に、もつれた黒髪がはらりと落ちた。
「その奴隷の檻には、他にもマラグ人がいるのか?」
「少しいるんじゃないかしら。よくはわからないけど。だって、奴隷のほとんどは舌を切られてるのよ」
「何か食べさせないと」ポルおばさんが言った。「誰か、食べ物を持ってきてる人はいない?」
 ダーニクはベルトから袋をはずし、彼女に手渡した。「チーズが少し入ってます。それと、干し肉がひとかけ」
 ポルおばさんは袋を開いた。



Posted by ンを連れて来て at 13:06│Comments(0)
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